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故門根秀次郎氏は父親の会社の先輩だった。門根氏は、若い時に中国へ行って大陸の鉄道の写真を撮りたいと切望されていたが、当時は満州事変から日中戦争に突入した直後で、とても一般人が中国に撮影旅行に行けるような状況ではなかった。そこで同氏は軍人なら比較的容易に中国ヘ渡れると考え、陸軍士官学校に入校し、将校になった。もちろん表向きはもっと世間的に説得力ある理由を表明されたが、本心はそういうことだった。 |

念願かなって中国に渡ったものの、たとえ将校といえども勝手に写真を撮影するのは軍規に反するので、隠し撮りで撮影することが多かった。現像も容易には行えず、夜中にこっそりと揚子江の川辺で現像した、そんな逸話を父親から聞いた。 |

同氏は戦後、NHKの職員になり、定年と同時に大阪の朝日放送に嘱託として入社された。父親とはそこで知己になり、年齢は離れてはいるが、趣味を同じくするものとして随分と懇意にさせて頂いた。戦争中に中国で撮影した写真の中には、「とても公開はできないようなもの」も多く含まれており、それらは同氏の遺言により墓場まで持ってゆかれた由。父親の手元には、門根秀次郎氏が中国で撮影された、数十点の写真が残されている。
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