中国の鉄道 飯田線 オハ35系戦後型

1977.8. 陸前原ノ町電車区 Photo by: Junichi Satomi

1975年(昭和50年)にモハ72系電車の中では異色中の異色ともいうべき車輌が登場。

アコモ改造車である。この旧型国電の足廻りを利用して車体を新調する方式は、1972年(昭和

47年)に国鉄郡山工場でモハ72 587の足廻りに103系電車の車体を載せる改造工事を実施、

モハ73 970として鶴見線で使用されたが、この試用成績が良好でだったため、1975年(昭和

50年)から翌年にかけて仙石線に投入するべく、同じ郡山工場※でクハ79とモハ72各10輌に

対してアコモ改造工事が実施された。

これらは改造後、クハ79 601〜610、モハ72 971〜980を名乗っている。上は1955年(昭和

30年)近畿車輌製クハ79 349から改造されたクハ79603。

1977.8. 陸前原ノ町電車区 Photo by: Junichi Satomi

仙石線に投入されたモハ72系アコモ車輌は、両端のクハ79形が中間に電動車モハ72形を

2輌はさむシンメトリックな4輌編成で運行されていた。

上の写真の先頭車は、クハ79形最終グループとして1955年(昭和32年)に近畿車輌にて製造

されたクハ79 949からの改造車クハ79 609。

1977.8. 陸前原ノ町電車区 Photo by: Junichi Satomi

同じくクハ79 609の公式側アングル。

アコモ改造クハ79形の車体は、ジャンパ栓の位置が若干異なる以外にはクハ103高運転台

式車とほとんど見分けがつかない。

同じように前面に付けられたステンレス製の飾り帯が誇らしげ。

1977.8. 陸前原ノ町電車区 Photo by: Junichi Satomi

アコモ改造車の車体は新しくなったが、台車は当然旧モハ72系のまま。

上はクハ79 609がはいていたTR48型で、クハ79形やクハ86形など旧型国電末期の付随車

に用いられたいわゆるペデスタル方式の台車。台車枠は鋳鋼製で、やじろべえのような独特な

形状を持つ。

1977.8. 陸前原ノ町電車区 Photo by: Junichi Satomi

アコモ改造車の中間電動車。

仙石線では防寒のため乗降扉を半自動化しているので、扉中央の取っ手が目立つ。

上のモハ72 979は、1952年(昭和27年)日本車輌製のモハ72 511からの改造車。台車は

ブレーキ引き棒が目立つDT17型を装着。

1977.8. 陸前原ノ町電車区 Photo by: Junichi Satomi

アコモ改造モハ72系は、当時の旧型国電ファンにはゲテモノ扱いされながらも、足廻りこそ

旧型国電のままだが東京山手線と同じ色と顔を持つ電車として、当の本人達にとっては結構

満足しているようにも見えた。

ところが後になって東京から本物の103系が導入されるに至って少々ややこしいことになり、

アコモ改造車としては面はゆい気持ちもあったかもしれない。更にこのアコモ改造車達は後に

電気機器まで交換され、本物の103系になって川越線に送られるという実に数奇な運命を

歩むことになるのである。

北総レール倶楽部柏店のお客さまである石上博紀さんより

拝見していて気が付いた事を少し。アコモデーション改造車についてなのですが、改造銘板は

確かに「郡山工場改造」となっていますが、実際の改造施工は「富士重工」となっています。

同様の改造でクモニ83026〜028とクモユニ82の50番台(大井工場改造名義)がそれに

当たります。

これは、どうやら工場の予算で外注した様でして、後にも先にも旧国の外注はこれが最後の

様です。

しかし、疑問なのは試作車であるモハ72970は郡山工場で施工されており、技術的にもクリア

されている訳なのですが、量産改造の20両についてはそっくり外注というのも妙な気がします。

因みに身延線の62系も国鉄直営工場で竣功しています。

その後のアコモ車についてですが、最近は撤去されてしまったそうですが、数年前に川越駅で

103系3000番台を調査したのですが、面白い事に73系時代の銘版が残っており、改造銘版

もそっくり残っていました。それと同時に一部のクモハ102及びクハ103にタブレット保護用の

鉄板や郡山工場回送用の外付けテールライト引っかけフックが残っている物もあり、今だに

73系の面影健在といった所です。

その他では床下機器の一部(エアタンク等)はそのまま流用されており、その上艤装が通常の

103系と異なり、枕木方向に配置されている様です。

それと、富士重工施工の改造車についてですが、不足分がありましたので、併せて補足させて

頂きます。

 クモユニ82000〜004(大井工場分)

 クモユニ82050・051(050番台の詳細・大井工場分)

 クモニ83029(長野工場分)

 クモユニ82005(長野工場分)

ある資料では、大井工場分のみ富士重へ外注したとの表記もありますが、JRRの旧型国電

車両台帳では、長野工場分である上記2両も対象となっていました。

103系化後の補足ですが、以下の部分に面影が残っている様です。

・73系時代の銘版(現在は全て撤去?) 

 昨年の大井工場一般公開で、入場中の3000番台を確認した所、ビスだけが残り、銘版は

 なくなっていた(103系化時と冷房改造の物は残存、73系の新製とアコモ化の銘版は撤去)

・郡山工場入出場用外付け尾灯引っかけ

 クハ103−3001・3005及びクモハ102−3001のみ撤去されたが、それ以外は残存して

 います。

・タブレット保護用鉄板

 3001Fと3005Fは鉄板取り付け、3002〜3004Fは埋め込み型に(クハのATC車と同様)

・MG及び一部機器

 クモハ102に装備されているMGは、そのまま72系の物を流用しているそうです。

 但し、20KVAなのでオリジナルのMGではなく、恐らく冷房改造された他形式の発生品を

 流用した物と推測されます。因みに身延線のアコモ62系も、やはりMGは113系冷房改造

 による発生品(交流)を装備していました。以上です。

 他にもかなりある様ですが(パンタ撤去後がサハに残存や種車を活用した為にクモハ102

 +モハ103ユニットでユニット外向きにパンタグラフが搭載されている等)、ここでは省略

 します。