
(佐藤学さん)今晩は。ふと思い出した言葉なのですが、「ゲタ電」というのはまだ生きている言葉なので しょうか。実態としては、私が子供のころ、60年代にも、もう下駄履きで電車に乗っている人はほとんどいなかったでしょうが、言葉としては今でも使われているのでしょうか。(中島忠夫さん)そうですね。下駄も大晦日に祇園へ2001年の祈願に参りますので、これは下駄をはいてても、いっちょらいの特別電車ですね。いまのコッボリ 20cmもあるFasionの嬢客が現代げた電という時代でしょうね。そちらでは 現在どういうギャグになっていますか。??(里見)実は私は「ゲタ電」という言葉が日常で使われているのを耳にしたことはないのです。職員とマニアの間だけで使われていたのか、あるいは単に私が聞いたことがないだけなのか。「ゲタ電」で面白いのは国電に革命をもたらしたモハ90形(後の101系)が登場したとき、(「中島忠夫写真館」に画像がありますのでご覧下さい)頭の古い国鉄上層部が若い設計者に対して「ゲタ電に蛍光灯や扇風機をつけるとは何ごとか!」と怒鳴ったと言うという話があります。当時のゲタ電の地位が知れる話として私は好きです。(佐藤学さん)私も「ゲタ電」という言葉を自分で使った事はあまりありません。鉄道雑誌以外で覚えておりますのは、70年頃に72系がどこかの路線から引退するのを報じた新聞記事の見出しに「ゲタ電」とあったこと。あと、同じ頃に多分京浜東北線の車内で、父が桜木町事故の話をしてくれて、「こういうゲタ電という電車で窓が開かなくて沢山の犠牲者がでたのだ。」といっていた事です。私は中央線沿線の出身で物心ついてからずっと101系になじんでおりました。どうやら、父は床が木張りだから下駄電と思っていたふしがあります。新聞記事も72系までがゲタ電というつもりだったようです。私の理解では、101系以降も通勤形である以上ゲタ電だと思っているのですが。そもそも語源も、ゲタ履きでも気軽に乗れる、という事なのか、ゲタ代わりになるくらい本数が多くて便利、という事なのかどちらなのでしょうか?よくわからなくなりました。私が好きなのは、葡萄色の72系900番代です。葡萄色の101系があってもよかったと思います。(中島忠夫さん)佐藤学さん!まったく意見がピッタシカンカン当たりました。モハ73。西成線の西九条の西 子供のころからこの八本松ならぬ 八本煙突が大阪の中心地のわが家から夕日のころ、よく見えました。5年生のときともだちと自転車で西へにしへと走りましたが、安治川の渡しを越えても煙突は見えるのにそばに行けません。日が暮れてしまい、失敗。就職して1年後のボーナスでパール三Lを手にいれ、ライカ版から脱皮しました。そのとき狙ったのが、つばめ と かもめ の擦れ違い、失敗。もう自転車より 西成線、で行くしかない。憧れの神々しい煙突のまえに来るのはなんと俗っぽ過ぎる63でしょう。しようがないけど下駄電車が煙突参りになりました。電車の番号はわかりませんがモハ73です。これこそゲタで乗れる電車でしょう。33年3月ころです。城東線・西成線がいまでも懐古趣味ですが生きています。だから新今宮to西九条 is only 環状線。とどこかの鉄道誌に書きました。ところで本題に戻って、20m車や17m車が、ときには愛する木造車も一緒につながって走っている姿、これぞ憧れの"ゲタ電"ではないでしょうか。山手線の迫力は 流石 東京!。いまで言えば電車博物館が目のまえに生きていました。そんなん写真どころやない駅名どころやない。関西の自慢も飛んでしまいました。こっちはかっこいい、だけど東京はなんでもありのごチャゴちゃが わたしを驚かせて敬遠させてしまいました。73からえらい脱線してしもて、飯を食うのも忘れそう。まぁ酒があるさ。 |
