金魚鉢

1958.4. 浜田車庫 Photo by: T. Satomi

日本の道路上から消え去っていった市街電車は数多いが、今でもその廃止

が惜しまれるもののひとつに阪神国道線が挙げられる。

同線は文字通り大阪と神戸を結ぶ阪神国道建設にともない1927年(昭和2年)

に敷設された軌道線である。完成した阪神国道は当時としては画期的に

よく整備された広い道路で、当時の人々はこれを「爆撃機の滑走路」と

呼んだ。

阪神国道線に就役した電車には名物車輌が多く、開業当初から乗降扉の

ドア・エンジンとステップの連動システムを採用、1936年(昭和11年)には

車内の蒸し暑さから乗客を解放するため側面の腰板を全部外して替わりに

網を張った通称「アミ電車」が登場した。これに続く名物電車として翌1937年

(昭和12年)に登場した71形は、ほとんど全面ガラス張りといっていいほど

窓面積を大きく取ったスタイルで衝撃的なデビューを果たした。

窓の高さは実に1.3m以上もあり、子供の背丈ぐらいもある。当然車内は

明るく、立席者からも見晴らしがよかった。乗客にとって外の風景がよく見える

というのは随分ストレスの抑制に効果があるのである。ただ真夏の日中など

はちょっと暑かったかもしれない。

沿線の利用客や鉄道愛好家達はこの電車に親しみを込めて「金魚鉢」と

あだ名した。関西の電車の乗客サービスとはかくも直接的であり、かくも

わかりやすいのが特徴なのである。

上の205は、1948年(昭和23年)に増備された201形の1輌。

「金魚鉢」は戦後になってもなお好評だった。