赤字盲腸線

1973.8. 室木駅 Photo by: J. Satomi
盲腸線と呼ばれるような線区であれば、経営が赤字になるのは当たり
前だから、「赤字盲腸線」というのは重複表現である。
今でも使われているのかどうかは知らないが、以前は鉄道の経営状態
をはかるのによく営業係数という物差しが使われていた。これは営業収入
を100とした場合の営業経費の割合で、これが100以下なら黒字、100
以上だと赤字ということになる。計算上、車輌の減価償却はどうなっている
のか、とか2つの路線にまたがって走る列車の収入はどうなるのか、とか
疑問な点もあったが、一応の目安にはなった。
国鉄の経営危機がかなり深刻化し始めた1969年(昭和44年)の営業係数を
見ると、ワースト1位が宮城県の丸森線でなんと2,521、すなわち収入の
25倍もの営業経費がかかっていたわけで、これで列車を走らせるのは
ほとんど罪悪である。2位に北海道根北線の2,368、3位に広島県宇品線
の1,722、4位に北海道美幸線の1,213と続き、いずれも終点が行き
止まりの典型的な盲腸線だった。
これらの線区も最初から赤字盲腸線にするつもりで建設されたわけはなく、
結果としてそうなってしまったわけで、理由は大きく分けてふたつある。
ひとつは建設当初は更に延長してどこか別の線に接続するはずだった
のが物理的障害や資金難等によって途中で挫折してしまったケース。
越美北線・南線や名松線などその例は多い。大抵は山間の小町村が
終端駅になっており、旅客・貨物とも大きな輸送需要を望むべくもない。
もうひとつは開業当初は大量の輸送需要があったものの、その後の産業
構造の変化等によって極端にさびれてしまったケース。これは北海道や
北九州の石炭輸送路線に多く見られる。
鹿児島本線の遠賀川から鞍手を経て室木に至る全長11.2kmの室木線は
典型的な後者の例。1908年(明治41年)に開通し、かつては三菱鞍手炭坑
を擁する石炭輸送線として活況を呈したが、1960年代に入ると石炭の
輸送需要は急速に減少、炭坑の閉鎖と共にその存在理由を失った。
私が撮影に訪れた時には、8620形が混合列車を牽いて1日6往復して
いた。上の88622号機のナンバープレートが盗難によるものか、チョーク
書きになっているのが余計に侘びしい。ちなみに室木線の当時の営業
係数は504で、実感としてはもっと悪いんじゃないかという気もした。
この室木線も典型的な赤字盲腸線としてご多分にもれず、1985年(昭和
60年)に廃線になってしまったが、実際にどの線を役に立たない盲腸として
切ってしまってよいのか、あるいはよくないのかということについては色々
と議論が残ると思う。1969年の営業係数で堂々のワースト1位に輝いた
丸森線は、後に大地方都市福島に全通し、阿武隈急行として蘇生して
いるのはご周知の通り。

