小田急で逃げましょか

1960.5. 東北沢駅 Photo by: T. Satomi

「シネマみましょか お茶のみましょか いっそ小田急で逃げましょか」

昭和初期にこんな歌が大ヒットした。(東京行進曲)

第1次世界大戦前後から続いたバブルがはじけ、世界中が未曾有の大恐慌

に突入し始めた頃である。

なぜ小田急で逃げるのか、京浜急行や西武ではなぜいけないのか、などと

しょうもないことを考える必要はないが、これは行き先の関係だろう。

小田急の終点は小田原だが、逃げる先は当然その奥の箱根である。

京浜急行で三浦半島に逃げるというのはちょっとイメージにそぐわないし、

西武で所沢というのは全然違うという感じ。現代なら逃げるとすれば当然

海外になるだろうから、京成スカイライナーに乗らなければならない。

もうひとつは小田急という電鉄会社が持つイメージ。

小田原急行鉄道は、1927年(昭和2年)に新宿−小田原間を一挙に開通、

明治から大正にかけて軌道線から少しずつ路線延長していった他の東京

の私鉄とは少し趣が異なり、非常にハイカラなイメージの強い電車だった。

小田急といえば「ロマンスカー」、ロマンスカーといえばSE車3000系

まず思い浮かべるが(今ではそうじゃない、という人も多いかもしれない)、

このSE車3000系のイメージが強烈すぎて、それ以前のロマンスカーは

どんな電車だったかというのは案外ファンの間でも知られていない。

1700系はその知られざるロマンスカーのひとつで、1951年(昭和26年)に

デビュー、幅広の窓にゆったりとしたシートピッチの転換クロスシートを

備えた特急専用車輌であった。

3輌編成で客用扉は両端車に1カ所ずつしかないという徹底ぶりで、扉の

ない中間付随車には喫茶カウンターが設けられている。

上の写真は1952年(昭和26年)に増備された第3次車で、前面が非貫通、

張り上げ屋根の採用でスマートになり、電装品も1・2次車と違って新品を

使用した。

この1700系3次車こそが小田急の中で初の特急らしい特急、ロマンスカー

の始祖のひとつとして歴史的価値の高い電車だったと思う。

1957年(昭和32年)に有名なSE車が登場すると、同車は車体を3扉ロング

シートに改造して急行用として使用されていたが、後継車があまりにも優秀

だったためにすっかり影が薄くなり、やがて人々から記憶から遠ざかって

いった。