
筑波鉄道建設がなかなか進捗しなかった最大の理由は、折からの第1次世界大戦の勃発で鉄道建設資材が高騰したことにある。そして経由地の選定にもめ、用地買収もこじれ、更に動力を蒸気とするか電気とするかでまたもめた。この結果、実際に工事に着工したのは1916年(大正5年)になってからで、開業に際しても機関車購入交渉に手間取り必要数の4輌に充たない3輌しか調達できなかったため鉄道院の監査が受けられず、筑波−岩瀬間は「開業と同時に運休」という前代未聞のみっともない事態となってしまったのである。もっとも開業後は首都圏に比較的近い立地条件と、筑波山という大観光地を擁していたこと、また真壁地区の花崗岩輸送需要があったことなどからまずまずの経営状態を保っていた。 |