7100形
Photo by: Tadao Nakajima
中島忠夫さん推薦
(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)
このかたが 工場を勧めてくださり 鉄道学園の
静
を教えていただ
きました。
北海道最初の鉄道である幌内鉄道開業に際して1880年(明治13年)に米国の
ポーター(H.K. Porter)より2輌の1C型テンダー機関車が輸入され、「義経」と
「弁慶」と名付けられました。明治初期には主に本州は英国製、九州はドイツ
製、そして北海道はアメリカ製の機関車が輸入されており、「どうして?」と
いう質問に対しては「北海道が地理的にアメリカに似ているから」と答える
のが常識となっています。
それはともかく、同形機は1882年(明治15年)、1884年(明治17年)、1889年
(明治19年)に2輌ずつ追加発注され、合計8輌の内6輌に「義経」「弁慶」の
他「静」信広」「比羅夫」光圀」と有名人の名前が付けられていました。
この8輌は幌内鉄道で活躍した後、官設鉄道編入後は
7100形
に分類され
て入換用になったり民間に払い下げられたりして、1923年(大正12年)に全機
引退していきました。現在は「弁慶」「義経」
「静」
の3輌が保存されており、
8輌中3輌も保存されることになった経緯については、それだけで本1册に
なってしまうようなドラマがありました。
最初に保存を考えたのは交通博物館の前身である鉄道博物館で、「義経」
の保存を計画しましたが、同館では「義経」を7101号機であると判断して
1923年(大正12年)に大宮工場への発送を指示しました。しかし輸送途上で
関東大震災に遭遇、とりあえず黒磯機関区で保管されることになり、7101
号機はここでなんと10年間にわたって足止めを喰らうことになります。
一方、地元の北海道でも「弁慶」を保存しようという動きが高まってきましたが
詳しく調べていくと大宮へ送った7101が「義経」だとすると色々とつじつまが
合わないことが出てくる。じゃあ、「弁慶」は一体どこにいるんだ?
よくわからんのでとりあえず身元がはっきりしている7106号機を払下げ先
の室蘭製鋼所より買い取り、「静」として保存することにしました。但し、復元
にあたって無名の7100号機から相当部品取りをしているので、そういう
意味では今の「静」は7100+7106号機の合体作であるともいえます。
肝心の「義経」の方は、鉄道省関係者や鉄道マニアによって喧喧諤諤の議論
が繰り広げられ、メーカーにも問い合わせたりした結果、大阪の梅鉢鉄工所が
所有している7105号機が「義経」であるに違いない、黒磯にいるのが実は
「弁慶」である、という結論に達し仲良く両機とも復元保存されることになった
わけであります。
そして1923年(大正12年)に愛する「義経」と別れ、一人寂しく北海道に残った
「静」は国鉄の粋な計らいによって、1980年(昭和55年) 7月7日の七夕の日に
小樽の地で夢の再会を果たすことができました。(里見)
Photo by: Tadao Nakajima
(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)