9600形

1974.3. 追分機関区 Photo by: J. Satomi

えぞヒグマさん推薦

 

 (えぞヒグマさん) 

 私が、名機100選に先ずトップにあげるとすれば9600形蒸気機関

 車です。それは私の住んでいる北海道の発展に多大なる功績を残し

 たからです。

 戦時中の話になりますが、当時私は網走市(当時は町)の釧網本線の

 近くに住んでおりましたが、朝の通学通勤列車(652列車)を牽引して

 いたのが、9600形でした。1943年頃はC58の牽引でしたが、44

 年・45年になりましたら、9600形に変わりました。

 当時の機関車配置表を見ると釧路機関区にはC58が配属されていま

 したが、北見機関区には配属されていなかつたので、機関車の運用

 が変わったのだと思います。

 45年になりますと、日本本土に対する空襲が激しくなり、機関車も

 カムフラージュをするようになりましたが、耐熱塗料がないので、粘土

 を塗っているという話でした。

 やはり北海道では9600形のような牽引力が強くて軽軸重のてきして

 いたのだとおもいます。

 1955年頃名寄機関区にも10両程のC58が配置になっていました

 が、すぐに全機9600形と入れ代わっていますが、これは名寄本線の

 急勾配のためではないでしょうか。(これは私の推測ですが。)

 まさに9600形には力牛という形容がぴったりですね。戦後C63を

 作るという話もあったようですが、北海道の場合は9600形のボイラ

 ー圧を上げてパワーアップをしさらに棒台枠とした1Dテンダが良かっ

 たのではなかったかとも思いますが。

 (木村洋文さん)

 えぞヒグマさんが推薦された9600形蒸機には自分も大賛成です。

 国産としては初期の蒸機にもかかわらず、蒸機終焉まで活躍したと

 いう事実は名機としての資格充分だと思います。まぁ、最後まで貨物

 を引いていたカマもいれば、ヤードでの入換機として過酷な仕業に

 就いていたカマもいましたが・・・。

 あの無骨さが、またいいんですよねぇ。

 (中島忠夫さん)

 9600はもちろん熱中したカマです。491両目のそのとき残ったたっ

 た1両の49603を写すために、たった1台のために北海道へ参りました。

 世界中まわっても"パシフィック"と"コンソリ"がわたしも好きですね。

 その働輪の小いささとボイラーの中心位置の高さとのアンバランスで

 しょうね。
  

大正の名機9600形蒸気機関車にとっての幸運と悲劇は後継機に恵まれな

かったことに尽きるのでしょうね。

同じ大正機でもC51の場合はC55・C57、D50の場合はD51、8620の

場合はC58と、それぞれの名機が後を継いでいったわけですが、9600の

についてはC58で兼用させようとしたのか、あるいはいっそのことD51で

強力化しようとしたのか、いずれにせよ後が続きませんでした。

C58は確かに出力の面で9600に優っていましたが、粘着牽引力ではD形

の9600には及ばず、従って石炭を中心とする重量貨物列車の牽引や、

大ヤードでの重入換には向きませんでした。

9600は中国大陸への転用で一挙に3分の1が失われ、戦後は主に北海道と

北九州の石炭列車と全国のヤード入換用として残りましたが、そこで彼等は

文字通り老体に鞭打ちながら働き続けました。

9600はまた日本一苛酷だといわれた吹田操車場での入換仕業にも従事し、

フレーム亀裂という機関車にとっては致命的な重傷を負って鷹取工場に担ぎ

込まれることもしばしばだったようです。

日本最後の蒸気機関車、それは狭軌世界最大のC62でも万能機C58でも

ない、そういう華やかな形容詞の付かない大正機キューロクでした。

上は追分機関区の19673号機で1918年(大正7年)川崎造船製、下は

後藤寺機関区の49605号機で1920年(大正9年)同じく川崎造船製、2枚の

写真を掲げました。(里見)

1973.8. 後藤寺機関区 Photo by: J. Satomi