D52形
1963.7. 岡山機関区 Photo by: T. Satomi
太平洋戦争中に輸送力増強をめざして設計された日本最大の貨物用機関車
D52形
の生い立ちは不幸なものだった。
資材と製造工程の大幅な節約をはかったいわゆる戦時設計機で、最終番号
は468号機だが実際に完成したのは285輌のみ、すなわち183輌が資材
不足のため未完成のまま欠番となっている。
D52形は終戦後もそのまま復興輸送に一役買うことになったがボイラーが
爆裂する事故を何度も起こし、乗務員の尊い命が落とされた。
しかしこれはあくまで戦争中の粗製濫造が原因であってボイラーそのもの
の設計はむしろ優秀だった。一般に蒸気機関車のボイラーは燃焼効率が
上がるとボイラー効率が著しく低下するものだが、D52形の場合は火室を
火格子の前方に約1m延長して「燃焼室」(Combustion Chamber)を設けた
ためボイラー効率がそれほど低下しなかった。言い換えれば焚けば焚くほど
ばか力を発揮するわけである。
もっともそのように優れた素質を持ったD52形が本来の力を発揮出来たか
というと、そうとも言えない面があった。
前述したような粗製濫造機に対する不安感から牽引定数はD51形並みに
抑えられるケースが多く、同条件下で両機を使えばD52形は燃料消費率
その他の面で不利になる。これはD52の責任ではなく運用上の問題である。
ともあれD52形はかつての東海道・山陽路に貨物輸送の王者として君臨
し、その巨体によって自らの存在をアピールし続けていた。
上の写真は岡山機関区所属を出庫する広島機関区所属のD52 122号機
で、同機は1944年(昭和19年)日立製作所製、誘導員に導かれながらゆっくり
と移動する様はまるで象使いと巨像のようである。
下は中島忠夫さんよりお送りいただいたD52形牽引の貨物列車。吹田
操車場での発車シーンです。
1964.4. 吹田操車場 Photo by: Tadao Nakajima
(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)
(中島忠夫さん)
ちょうどEH1016の走っていた上の線路をD52が通過していきます。
この信号機が特徴的で一生懸命写しました。わが家の近くもいっぱい
ありました。
西尾克三郎さんとこの芦屋にもいっぱいありました。高槻⇔山崎間の
信号器も上り下り形式が違います。とにかく阪神間の省線は信号器
からして違うんですから。