展望車

1959.7. 大阪駅 Photo by: T. Satomi

今泉さん推薦

 

 私の好きな客車から一つ推薦させていただきます。それは「展望車」

 です(特に1形式を挙げるのが難しいのでひと括りにしてしまって恐縮

 です)。

 ちょいと決まり文句的ですが、文字通り特別な列車の最後尾を飾った

 看板車輌といえるのではないでしょうか。

 最近はWeb上でもいくつか写真を見ることができるようになって嬉し

 いです。(自分では写真を持ってなくて、すみませんm(_ _)m)

 #強いて1形式を挙げるとしたら、う〜ん、茶色時代のマイテ49で

 しょうか。
  

特急列車の最後尾に連結されて現役で活躍していた頃の「展望車」は、

一般乗客にとっても鉄道ファンにとっても憧れというよりも「雲の上」というか

無縁の存在であって、むしろ現役を引退した後の方が古き良き時代を懐かしむ

という感じでよく取り上げられているような気がします。

写真は今泉さんご要望のマイテ49形でも茶色塗装でもない、青大将色の

マイテ39形ですみません。

太平洋戦争後、国鉄の大部分の優等車は占領軍に接収されてしまいました

が、かろうじて残っていたマイテ39 1、マイテ39 2、スイテ38 2、の3輌の

展望車を復旧して戦後初の復活特急「平和」に連結するべく1949年(昭和24年)

に国鉄大井工場で改造工事が行われ、マイテ39形のマイテ39 1・11・21が

完成しました。内装は1と21が近代的な洋風で、11は日本伝統の桃山式、

3輌とも川崎重工製のKM式という車軸駆動方式の冷房装置が取り付けられ

ています。

桃山式のマイテ39 11は外国人観光客には物珍しさから好評を博したものの

日本人乗客からは「霊柩車」と陰口され、いつしか予備車に回されることが

多くなったようです。上の写真のマイテ39 21は東京日本橋にあった白木屋

デパートの内装に似ていたことから「白木屋式」とも呼ばれました。

マイテ39形の次位に連結されている客車は、これも珍しいマイ38形

この客車は皇室用の供奉車2輌を外国人団体観光客用に国鉄大船工場で

改造したもので、1人用リクライニング・シートが装備されています。同車は

青大将色に塗られ必要に応じて特急「つばめ」や「はと」に連結されました。

展望車については1952年(昭和27年)に山陽本線で運行が開始された特急

「かもめ」にも連結される計画があり、新製車としてマイテ30形という密閉式

サロン・カーが設計されましたが、結局「かもめ」は2・3等車のみの編成と

なることが決まり、マイテ30形は幻の展望車となりました。

下の写真は残念ながら展望車ではなく3等車が最後尾車となった特急

「かもめ」で、ヘッドマークをつけられているのは軽量客車のナハフ11 8

日本では「つばめ」「はと」が電車化された1960年(昭和35年)からジョイフル・

トレインが大ブームになる1980年代までの約20年間にわたり、展望車は

空白の時代が続くことになりました。(里見)

1959.7. 大阪駅 Photo by: T. Satomi