10系客車(ナハネ10形・スハネ16形)

1962.6. 大阪駅 Photo by: T. Satomi

木村洋文さん推薦

 

 10系客車は自分が幼い頃には、急行「さんべ」や普通夜行

 「ながさき」、日豊線の客レ等にヨーロピアンスタイル(当時はそんな

 言葉は知りませんでしたが)の格好がいい客車が無骨な旧型客車に

 混じって、まだ一線で活躍してた記憶があります。

 アルミ材の使用や、構造材の肉抜き等で従来車両の30%(だったと

 思いますが)も軽量化したという点は技術的な見地からも名車と言え

 るのではないかと思います。
  

10系軽量客車は1953年(昭和28年)に長期ヨーロッパ出張に出掛けた当時

国鉄大井工場車両課長だった星晃氏の帰国後の成果として1955年(昭和30年)

に誕生しました。

一部にはヨーロッパの「猿まね」という悪口もささやかれましたが、「走って

人を運べばいい」というのがその頃の客車の実状であったのに対して、

「客車はこうあるべき」というコンセプトを明確に打ち出した最初の車輌という

意味で、10系客車誕生の意義は大きかったと思います。

その中で私が選んだのは3等寝台車(後に2等、更にB寝台車)のナハネ10

スハネ16形です。

両形式に対する技術的、歴史的な解説はここでは省きましょう。

10系寝台車の生い立ちとして意外に知られていないのは、ナハネ10形と

ナハネ11形については部外資金により車輌を新製し、後で国鉄が買い取る

「民有車両」として製造されたものがあり、またオハネ17形の一部(600番台

車)とナハネフ11形は、国鉄が施行する工事により直接または間接の便益を

受ける特定の事業体、わかりやすくいえば旅行会社等が引き受ける「利用債」

という鉄道債券によって製造されたという点です。

「利用債」は鉄道債券の中でも緊急度が高くかつ採算性がよい事業に限定

されていましたので、国鉄としても10系寝台車の新製に対しては「絶対に

儲かる」という自信があったのでしょう。

10系軽量客車の中にあってひとり異彩を放っていたのがオハネ17形。

これは10系寝台車の新製が間に合わないために、旧式化しつつあった

スハ32系初期車の台枠を利用して車体を新製したものです。

台車はスハ43形から鋳鋼製のTR47型を頂戴したため重量が増加して

オハネ17形となりました。(その替わりにスハ43形にはスハ32形の

TR23型があてがわれてオハ47形にされました)

オハネ17形は自重は33.7tでナハネ10形より5tも重く、後に冷房化工事が

行われたために更に重くなってスハネ16形となり、こうなってくると少なくとも

数値的には本来の「軽量客車」としての特徴は全く失われています。

つまりコートは軽くても下駄が重かった。

しかもオハネ17・スハネ16形は1961年(昭和36年)から1965年(昭和40年)まで

に大量302輌が誕生、変わり種といいながら本流のナハネ10・11・ナハネフ

10・11形を合わせた309輌に匹敵する大所帯となり、特に10系寝台車の

晩年にはスハネ16形の方がやたら目立っていたような気がします。(里見)

1974.3. 釧路客貨車区 Photo by: J. Satomi