オハ31形

1962.5. 伊勢市駅 Photo by: T. Satomi
オハ31系は日本初の鋼製客車という意味で記念すべき車輌である。
その中で最も一般的な三等車オハ31形は、当初形式オハ44400形として
1927年(昭和2年)にデビュー、1929年(昭和4年)までの2年間に大量512輌が
製造され木製客車追放の立役者となった。
一方でオハ31系客車を「駄作」とする見方もある。鋼製客車といっても単に
外板が鋼製化されたというだけで、オハ31形を例に挙げれば前任車に
あたるナハ23800形と比較しても、全長は依然として17m、外観も旧態
依然としたダブルルーフに3連窓、内部構造もほとんど変わらず近代化とは
ほど遠い内容であると。
しかしこれは無理もない話なのである。もともと当時の鉄道院で客車の鋼製
化が推進された背景に、1926年(大正15年)に発生した国際特急第1列車
(後の特急「富士」)が広島県の安芸中野駅付近にて台風による土砂崩れ
で脱線転覆、木製客車が木っ端微塵に破壊されて多数の死傷者を出すという
大事故の教訓から急遽すでに発注済みだった木製客車300輌を全て
キャンセルして鋼製客車に切り替えるという状況があり、じっくりと近代化
のための設計変更を行うゆとりなど与えられていなかったからだ。
要するにオハ31系客車はあくまでショートリリーフであり、その役目を忠実に
果たしたに過ぎないのである。
もっとも私がオハ31形を名車に推挙した理由は他にある。
瑣末な話で恐縮だが1965年(昭和40年)頃に関水金属(現KATO)が発売した
日本初の日本型Nゲージ車輌がC50形蒸気機関車とこのオハ31系客車
だったからである。しかしそれにしても日本初の模型がなんでC50とオハ31
なの、と当時は思った。あまりにもシブすぎるではないか。特にC50に関して
は同じ中型蒸機を選ぶにしても8620形の方がはるかにポピュラーだし、
そもそもC50が赤帯をまいたオハ31を牽引する姿なんて1965年当時ですら
一体何人のファンが実際に目にしたことがあるのだろうと。
結局この疑問は現在に至るまで解き明かされることなく、私の脳裏に大きな
「謎」のまま残っている。
上の写真は1927年(昭和2年)川崎車輌製のオハ31 128。

