DE50形

2000.4. 岡山駅 Photo by: Tadao Nakajima

中島忠夫さん推薦

(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)

 

 4月3日、青春切符で日帰り 津山旅行してきました。

 牧野俊介さんを お見舞に行ったのですが、至ってお元気で また 

 絵画を書きはじめられました。そのときの話し

南薩の3号の煙室扉がきちっと閉まってないので 一生懸命閉めようと

 頑張ってたら靴が脱げてしもて、煙室smoke boxの積もったシンダに

 埋ってしまい、「難儀しましたわ」と言うお話しでした。

 こうして先輩がたの話しを残しておくことは大事なことで、これが撮影

 記録の実証になっていきます。つまり昭和15年の時ですら、3号

 機関車は 錆び付いていたんですね。

朝8時30分 タツ発 ヒメ10:17 855D-282Dで津山チ。

 鉄道略字で ごめん。

 キハ4747の「ぞろめ」も写せて2時間ほど 好きなことばかり喋って

 きました。

 西尾克三郎さんは1914年生まれ、毎日新聞社を停年退職されるとき

 にわれら朝日放送の鉄道マニアは それぞれ持ち前のアルバムを

 送りました。

 1914年は8620の年ですから、わたしは全国の86の大キャビネ

 (13X18cm)で送りました。

 牧野さんは1915年のお生まれです。わたしはC54とおない年です。

 こうして生まれた時の「シンブン」のコマーシャルでなくて、生まれた

 ときのおんなじ鉄道車両になぞらえると、話し言葉=passwordで通じ

 あうんじゃないですか。

 帰りみちは岡山まわり、657Dでチ、なんとDE501が2休でおいて

 あります。これはお見舞のご利益みたい。儲けもんでした。

 岡山のひと がんばって !!!

   

昭和30年代末にはDD13形とDF50形を主力として総数500輌にも満た

なかった国鉄ディーゼル機関車は、幹線用DD51形と支線用DE10形の

開発成功を契機として動力近代化を旗印にあっという間に増殖、蒸気機関車

が消滅した直後の1977年(昭和52年)には実に2207輌に達し、一時は電気

機関車の総数を抜いて動力車の頂点を極めました。

そして幹線用ディーゼル機関車として一応の成功を収めたDD51形を更に

発展させる目的で1970年(昭和45年)にDE50形が誕生しました。

DD51形は1,100PS級のDML61ZA型エンジンを2基搭載、このエンジン

はDD13形に搭載していた直列6気筒のDMF31S型をV形8気筒に大型化

したものでDE10形に搭載する際には更に1,250PSまでパワーアップして

いきましたが、このシリーズの発展はこのあたりで限界に達しています。

一方、DD51形のように小出力のエンジンを2基搭載するよりも大出力の

エンジンを1基搭載した方が、機関車や軽量化や製造コストの削減、保守

費用の低減等いいことずくめなので、国鉄ではV形16気筒の2,000PS級

エンジンであるDMP81Z型エンジンを開発してDE50形に搭載しました。

また同機は下り勾配での制動力を確保するためにトルク・コンバーターに

設けられた抑速専用室に充油してブレーキ力を得るダイナミック・ブレーキ

(一種のハイドロリック・リターダーのようなもの)を装備しています。

国鉄では将来的にはこのDMP81Z型を2基搭載した4,000PS級の

DF51形ディーゼル機関車も計画していたといわれます。

そしてDE50形はディーゼル機関車の鼻息が最も荒かった時代に作られた

最新鋭機として関係者の期待を集めたのでした。

しかし昭和50年代に入ると全国的に電化が急速な勢いで進展し、また貨物

輸送量の減少によって既存のDD51形ですら余剰が出始めると、ディーゼル

機関車の大型強力化構想そのものがあっという間に霧散してしまい、結局

DE50形も1輌限りの試作に終わったのであります。

ディーゼル機関車の戦艦「大和」もまた実戦には間に合わなかったということ

になりましょうか。(里見)

2000.4. 岡山駅 Photo by: Tadao Nakajima

(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)