


鉄道模型ファンは、模型をいかに実物に似せて作るかということに身を粉にするが、稀に実物の方が模型っぽいという場合がある。広島電鉄の400形・450形は全長わずか8.5mの単車でありながら、明らかに戦後製と思われる半流線型の車体を載せており、しかしながら両扉間の窓数は5枚しかない。ちょうど東京都電6000形をショーティにしたような。このような電車が誕生した社会的背景は、原爆である。1945年(昭和20年)8月6日の原子爆弾投下により、当時123両が在籍した広島電鉄市内線は、23両が全焼、半焼4両、大破23両、中破24両、小破36両、合計110両が被爆して壊滅した。ただ千田町車庫は建屋は崩壊したものの補修機材は生き残ったため、被爆からわずか3日後には運転を再開している。1949年(昭和24年)には、1910年(明治43年)の創業時に就役し被爆した木造単車100形の足回り部品をかき集め、自社製の新造ボディを載せた改造車が4両生まれた。上の写真の462号は、その被爆復旧の第1号車。余談だが広島原爆については、数奇な運命というのか、私の生家にはちょっとしたミステリーがあって、太平洋戦争中、中学生だった父親は三菱重工の名古屋製作所に学徒動員で狩り出されて一式陸攻を作っていた。終戦で祖母の実家がある山口県光市に向かう途中、貨物列車の無蓋貨車に乗せられて9月1日に広島駅を通過、駅前の建造物が全て消滅してしまった光景に、自分が働いていた工場が空襲を受けた時にすら感じなかった恐怖感に足が震えるとともに、その時駅構内に原爆で横倒しになった2両のD51を目の当たりにし、敗戦を実感したのだという。一方で小学生だった母親は、疎開先の広島県生口島から生家の福岡県直方市に帰る途中、やはり9月1日に広島駅を通過し、同じく駅構内に横転していた2両の蒸気機関車を鮮明に記憶している。父母が出会う10年以上も前の偶然である。広島駅構内で被爆した2両のD51が何号機で、その後どうなったのか知りたいと思ったが、今のところ調べる資料はない。 |