

車体が変だとか、制御装置が妙だとか、そういうことではなくて、これは人間社会にもよくあることだが、生い立ちがよくわからないということに対して強い興味を抱かせることがある。むしろ謎の部分を多く持っている人の方が、他人にとってより魅力的に感じられるかもしれない。能勢電鉄の37・38号車の生い立ちは謎に満ちている。両車は戦前の1934年(昭和9年)に九州鉄道より譲渡された11m級の3扉木造電車で、ブリル社製のボギー台車をはき、50PS級電動機2基を装備する。車歴を見ると1924年(大正13年)岡部鉄工所製ということになっているが、大正末期の電車にしては車体のデザインは少々古臭い。岡部鉄工所は1918年(大正7年)に福岡県糠屋郡に設立された鉄道車両メーカーで、車端部の絞り込みがなく、屋根は急曲線を描いて落ち、全体的に角張っている点がいわゆる「岡部スタイル」の特徴であることを考えると、37・38号車はその特徴を有しており、同社が携わったことは間違いと思うのだが、やはり時代的な違和感は拭い去れず、あるいは明治時代後期に製造された木造客車を同社が新製名目で改造したのではないかという想像も沸いてくる。そもそも岡部鉄工所というメーカーの存在そのものについても詳しい資料が残っていない。九州鉄道では大牟田市の三井電気軌道線(後の西鉄福島線)にて使用されたらしいが、時代が古いため37・38号車らしき電車が同線にて活躍している写真は今のことろ発見できない。製造当初から脱線等の事故が多くほとんど休車状態になっていたという説もあり、能勢電気軌道の重役が九州旅行をした際に目にとまり二束三文で譲り受けてきたという。ところが譲渡先の能勢電では2扉車が主流であるため、3扉の両車は使い勝手が悪くて多客時に臨時で使用される以外はほとんど車庫で眠る日々が続いた。が、「3扉車ゆえに」というのも腑に落ちるような落ちないような理由ではある。外観は粗末ながら、驚くべきことに、車内に一歩踏み入れると、天井にはとんでもなく豪華なシャンデリアが吊るされており、そのことがまたこの木造電車の謎を一層深めるのである。 |