


北見機関区所属の79667号機は、770輌が製造された9600形のラストから3番目に製造されたカマ。9600形は90%が川崎造船所で製造、残りを汽車製造と小倉工場が分担したが、同機は少数派である汽車製造製で更にその最終ロットとなった1926年(大正15年)製79666〜79669の4輌の内の1輌。但し、9600形の製造輌数が770輌というのは本当は正しくない。1928年(昭和3年)から1936年(昭和11年)にかけて樺太庁向けに新たに14輌が製造され、当初はD50形を名乗ったが、大平洋戦争末期の1943年(昭和18年)に国鉄に編入、79670〜79674及び79680〜79688となっている。更に記録では内地から6輌の9600形が樺太に渡っている。前置きが長くなったのだが、そこで、である。北見機関区に生き残った79667号機の特徴ある炭水車の形状、キャブ側に設置された円筒形のカバーはもちろん防寒用のものであることは間違いないが、これは樺太庁所属機が装備していたカバーとまったく同じものなのである。ひとつの想像が働く。同機はもしかしたら大平洋戦争末期に樺太への転属が決まっていて、事前に樺太仕様の炭水車改造を受けていたのではないか。それが何らかの事情で彼の地に渡る機会を失い北海道にとどまったまま終戦を迎えたのでないか。変形機と呼ばれるひとつの機関車から、様々なドラマが想像される。 |