番外謎の遺構篇:岩見沢機関区の倉庫 

蒸気機関車の終焉迫る1974年(昭和49年) 3月、北海道撮影旅行へ行った際、

岩見沢機関区構内に大きな煉瓦造りの建造物があるのに気がついた。

非常に堂々とした造りで、何かただならぬ気配があるのにすっかり魅了され、

車輌写真そっちのけでたて続けにシャッターを切った。中央部に掲げられた

星のマークも気になった。

以後、岩見沢のこの建造物は、ずっと私の心の中にひっかかっており、

北炭時代の遺構かもしれない、などと思ったこともあったが、結局わからず

じまいだった。

つい最近、FUJITA's Photo Galleryのオーナーである札幌在住の藤田さんと

メールでやりとりしている内に、この建造物のことに話が及び、現在も立派

に残っていることを知り、2枚の写真まで送って下さった。

以下にその写真と文章をご紹介する。

FUJITA's Photo Galleryの藤田さんご提供写真

(この写真は転載禁止です)

ありますよ!今でも幸い健在です。(中略)

そういえば確かに北炭のマークと同じですね。しかし北炭が作った線路

ではないし(夕張鉄道と真谷地専用線のみ)・・・でも国策企業だった

ので、関係があったかも知れません。破産して消滅した今では資料が

なくて困っています。私の写真を見るとトタンが痛々しいですね。

私は最近炭鉱遺跡を撮ってますが、以前から煉瓦造り・札幌軟石の建物

や古くさい木造の建物などには目がなかったので、見たものは全て

チェックするようにしています。

岩見沢のこの建物は、レールセンターとして使用されていました。今まで

入れなかったのですが、最近は業務縮小されたのか自由に入れるように

なっていました。(中にではなく近づけるということ)

ですから将来はどうなるか・・・いや、解体には私たちが反対しますが。

由来は私も知りませんが、いずれ調べることになるでしょう。とても興味

がありますから。半年後か1年後か・・・そのころに私のホームページでも

見に来て下さい。

藤田さんからは最近になって、更に詳細なご報告を頂いた。

 岩見沢の煉瓦造りの建物についての資料が見つかり、いくつか謎が

解けてきました。北炭が関わっていることが間違いなさそうです。

そこで歴史を復習してみます。

 北有社(北炭の前身)明治22年12月11日に幌内線の払い下げを

受けました。ここで北海道炭鉱鉄道と名前を変えます。そして岩見沢に

本社を置き、室蘭本線や夕張線などを建設してゆきました。

岩見沢駅も官営の時は駅員が1人しかいないような通過駅だったのが、

北炭の手に入ってから拡大したようです。昭和3年に室蘭本線が全通

してからは心臓部としての重要な位置を占めています。

あの煉瓦造りの建物が写った写真で、もっとも古いものは明治26年の

ものとなっており、明治27年から26年までに建設されたと見られます。

現在は1棟しか残っておりませんが、かつてはもっとたくさんあったそう

です。また三笠駅のも似たようなものがあったそうです。明治39年の

鉄道国有法によって、北炭の鉄道路線が国に買い戻されると、北炭は

名前を北海道炭鉱汽船と社名を替え、本社を室蘭に移しました。

北炭が手がけた事業では室蘭の製鉄所や野幌の煉瓦工場など、あげれ

ばきりがありません。北海道の大財閥として、北海道に残るかなりの

史跡は北炭が関わったと見ても良いと思います。

岩見沢レールセンターの建物は「木筋レンガ積」という変わった工法で、

誰が設計したとか、いつ建築されたかの資料は全く残っておりません。

外側に大きな北炭の印が残っていますが、内部各地にも北炭の印が

見られるそうです。

岩見沢市としてもいずれは文化財として保存する方向でいるようです。

ただ現在はJR北海道が所有しているので具体的な話にはなっておりま

せんが、レールセンターも廃止になってしまったのではないかと思われる

ほど寂れているので、近いうちにJRの手を放れて文化財として私たちの

目を喜ばしてくれるものと思います。(後略)

ああ、やっぱり北炭だったのか、しかも明治中期の遺構とのこと。

25年目にして私の心の中にあったナゾが半分解けた。

しかも現存していると聞き、感無量であった。いつか必ず見に行こうと思う。