


ありますよ!今でも幸い健在です。(中略)そういえば確かに北炭のマークと同じですね。しかし北炭が作った線路ではないし(夕張鉄道と真谷地専用線のみ)・・・でも国策企業だったので、関係があったかも知れません。破産して消滅した今では資料がなくて困っています。私の写真を見るとトタンが痛々しいですね。私は最近炭鉱遺跡を撮ってますが、以前から煉瓦造り・札幌軟石の建物や古くさい木造の建物などには目がなかったので、見たものは全てチェックするようにしています。岩見沢のこの建物は、レールセンターとして使用されていました。今まで入れなかったのですが、最近は業務縮小されたのか自由に入れるようになっていました。(中にではなく近づけるということ)ですから将来はどうなるか・・・いや、解体には私たちが反対しますが。由来は私も知りませんが、いずれ調べることになるでしょう。とても興味がありますから。半年後か1年後か・・・そのころに私のホームページでも見に来て下さい。 |
岩見沢の煉瓦造りの建物についての資料が見つかり、いくつか謎が解けてきました。北炭が関わっていることが間違いなさそうです。そこで歴史を復習してみます。北有社(北炭の前身)明治22年12月11日に幌内線の払い下げを受けました。ここで北海道炭鉱鉄道と名前を変えます。そして岩見沢に本社を置き、室蘭本線や夕張線などを建設してゆきました。岩見沢駅も官営の時は駅員が1人しかいないような通過駅だったのが、北炭の手に入ってから拡大したようです。昭和3年に室蘭本線が全通してからは心臓部としての重要な位置を占めています。あの煉瓦造りの建物が写った写真で、もっとも古いものは明治26年のものとなっており、明治27年から26年までに建設されたと見られます。現在は1棟しか残っておりませんが、かつてはもっとたくさんあったそうです。また三笠駅のも似たようなものがあったそうです。明治39年の鉄道国有法によって、北炭の鉄道路線が国に買い戻されると、北炭は名前を北海道炭鉱汽船と社名を替え、本社を室蘭に移しました。北炭が手がけた事業では室蘭の製鉄所や野幌の煉瓦工場など、あげればきりがありません。北海道の大財閥として、北海道に残るかなりの史跡は北炭が関わったと見ても良いと思います。岩見沢レールセンターの建物は「木筋レンガ積」という変わった工法で、誰が設計したとか、いつ建築されたかの資料は全く残っておりません。外側に大きな北炭の印が残っていますが、内部各地にも北炭の印が見られるそうです。岩見沢市としてもいずれは文化財として保存する方向でいるようです。ただ現在はJR北海道が所有しているので具体的な話にはなっておりませんが、レールセンターも廃止になってしまったのではないかと思われるほど寂れているので、近いうちにJRの手を放れて文化財として私たちの目を喜ばしてくれるものと思います。(後略) |