






東武鉄道伝説の名車。そのまだデビューして数ヶ月しか経ていない頃の写真。私は大阪出身者であるが、当時の東武鉄道は随分と羽振りがよかったのか、あるいは新車に余程熱を上げていたのか、関西ローカルでも東武デラックスロマンスカーのスポットCMを流していたのをはっきりと憶えている。その画像も栃木県のどこかの田園地帯を疾走するDRCをヘリコプターから空撮するという当時としては度肝を抜かれるような斬新なものだった。小田急3000系SEのように技術革新的にどこか優れていたというわけではないが、接客サービス面での豪華さという点では、近鉄10100系ビスタカーと共に当時の日本の最高峰を極めていた。塗装もベージュと小豆色のツートン、あえて原色系を使わず、高雅さと幽玄さとを醸し出している品格の高さは、たとえその何分の一でもいいから現代の私鉄・JRの特急電車に引き継いでもらいたかった。もっともそれだけ高品位なデザインとなった最大の理由は、国際観光都市日光を訪れる「外国人観光客に恥じないように」という点だったのがちょっと寂しいのではある。戦前から連綿と続いてきた日光をめぐる国鉄対東武の戦い。国鉄もこの戦争にキハ55系、157系と最新鋭の車輌を次々に投入してきたのだが、1720系DRCの登場で、国鉄の敗北が決定的となるのである。その敗戦処理を任されたのがこれもルーキーの165系であった。写真は上からモハ1721・1722・1723・1724・1725・1726の6両編成。4号車のモハ1723には定員8名のサロンルームがあり、ジュークボックスや電話室まで備えられていた。 |