

大平洋戦争末期の1944年(昭和19年)に強制的に国有化された宮城電気鉄道(現在のJR仙石線)の車輌達がその後どのような生涯を歩んだかについて書き始めると、それだけで1冊の書物になる。1928年(昭和3年)に豪華な2・3等合造電車として汽車製造東京支店にて製造されたデテロハ601・602は、その後モハ601・602になり、国有化後もしばらくは仙石線で働いていたが、親会社に吸収された子会社のプロパー社員のような悲哀をまともに受けるはめになった。1952年(昭和27年)にモハ602は福塩線の府中町へ転出、わずか1年後の1953年(昭和28年)には可部線の横川に再転出させられる。その間に形式番号はクハ2310に改称、それも束の間で1955年(昭和30年)に大井川鉄道に売却されてしまう。しかし同社に到着した時点で、あわれ電気系統部品は酷使によりボロボロの状態だったため、結局電装を解除してクハ502となった。大井川鉄道では三信鉄道(現JR飯田線)の落人モハ302とMc+Tc編成を組んでいたが、電動車が木製で制御車が鋼製という妙なコンビだった。大井川渓谷での余生は比較的安泰で、最期はSLイベント列車の客車代用になったりして、1972年(昭和47年)にやはり大井川鉄道の親会社である名鉄から来たクハ2829に機器類を譲り渡してその生涯を終えたのである。 |