1962.3. 弁天町駅 Photo by: T. Satomi

考えてみれば地下鉄は鉄道ファンから冷遇されてきたジャンルである。

地下で活躍する地下鉄車輌の走行写真を撮影することは絶対に不可能だし、

模型化して走らせても何となく間が抜けてしまう。

しかし「地下鉄」というのは俗称であって正式には「高速軌道」と呼ぶ。何も地下

を走らなければならない理屈はないのであって、地価が安い郊外部分では地上

の高架線を走ることも多く、特に第3軌条方式の高速軌道の場合は架線柱が

ない分、撮影にはむしろ好適である。

大阪市営高速軌道の九条−大阪港間(中央線の一部)は、1961年(昭和36年)

12月に全線高架で開業した。そして同区間用の車輌として投入されたのが

ナニワ工機製の6000形9輌であった。6000形は全長が従来車より1m

長く18,600mmになり、ノースイング・ハンガー方式の新台車を採用、大阪市では

初めて無線誘導も装備して華々しいデビューを飾った。同区間の輸送量を考慮

し、単行運転ができるよう両運転台方式になっている。ちなみに登場時の塗色

が、有名な小田急ロマンスカーSE車と全く同じだったのは偶然であろうか。

漫才の「地下鉄車輌をどうやって地下に入れるのか」は、鉄道ファンならいとも

簡単であることを知っている。しかしこの6000形の場合は、路線が検車区も

含めて全て高架方式で建設されたため、車輌を高架上に上げるのに難渋を

極めた。結局、50tクレーンで車体を持ち上げて搬入したわけだが、同地区は

地盤が非常に軟弱で、クレーンが車輌の重みで倒れはしないかと、関係者は

作業中生きた心地がしなかったという。

色々話題に事欠かなかった6000形だったが、大阪万博に備えて1969年

(昭和44年)にデビューした新6000系(60系)に名前を奪われ、自らは片運転台

化改造を受けた上で800系となり、更に晩年には全車付随車化されて5800系

の中に組み込まれてしまった。なんとなく寂しい末路を歩んだ大阪地下鉄の

名車である。


以前の大画像

●NO.1:DD20 2号機 ●NO.2:D51 265号機 ●NO.3:紀州鉄道キハ40801 

●NO.4:C55 19号機 ●NO.5:新京阪デイ100 ●NO.6:ED75 501号機 

●NO.7:29608号機 ●NO.8:スハ32 286 ●NO.9:D52 355号機 

●NO.10:C58 316号機 ●NO.11:食堂車ナシ20 ●NO.12:京浜急行クハ156 

●NO.13:D51 362号機 ●NO.14:ED30 1号機 ●NO.15:北見機関区転車台 

●NO.16:弘南鉄道モハ2026 ●NO.17:東武鉄道モハ3210 ●NO.18:クモハ73 024 

●NO.19:D51 727号機 ●NO.20:スハネ30 50 ●NO.21:山陽電鉄200形 

●NO.22:京阪京津線20形 ●NO.23:C11 41号機 ●NO.24:西武鉄道クハ1311 

●NO.25:C58 33号機 ●NO.26:南海電鉄モハ2001系 ●NO.27:同和小坂鉄道DC1形

●NO.28:C55 46号機 ●NO.29:C55 52号機 ●NO.30:京王帝都デハ1402

●NO.31:近鉄モト2721+2722 ●NO.32:交直両用電車クハ401 

●NO.33:名古屋鉄道ク2132 ●NO.34:京阪電鉄1820 ●NO.35:横浜市電1001